こんにちは、じる先生です。
今回は、私が23歳のときに発症した適応障害についてお話しします。
これを読んでいる人は、
教員辛いなぁ
なんで、こんなに苦しんで仕事しているんだろ?
と悩んでいるのではないでしょうか?
この記事を読んだ後、似た境遇なら完全に病んでしまう前に病院に行って、診断書を書いてもらってください。
あなたが壊れてしまう前に、です。
私が、病んで行った過程を書いていきます。
病院に行くべきかどうかの基準にしてください。
結論を言うと病院行った方が良いかもと思った時点で受診してください。
一人でも多くの教員が元気に働けるように願っています。
適応障害になってしまった主な原因は4つ
・初任者指導の先生と何を話したらいいかわからなかった。
・授業準備の仕方がわからなかった。
・皆忙しそうで、相談できなかった。
・見通しがなく、常に不安だった。
それぞれの原因について書いていきます。
適応障害発症の原因1:初任者指導の先生と何を話したらいいのかわからなかった。
私は、非常勤講師で1年働いたあと、
教員採用試験に合格しました。
受かったときはうれしかったし、両親からも安泰やねと言われていました。
初任者として異動した学校では、初任者指導の先生が週に1回来てくれます。
私の担当をしてくれた先生は現役を退職された元校長だった方でした。
お話をする時間を作ってもらっていましたが、何を話したらいいかわかりませんでした。
その日の板書計画をその先生に提出しないといけないのが日に日にプレッシャーになっていきました。
授業も指導書を見ながら、準備。
毎日定時を超えて残業。
19時、20時、21時まで働くことなんて当たり前でした。
初任者指導の先生と何を話していたのかはもう覚えていません。
ただ、その先生が来る日が段々としんどくなっていたのを覚えています。
適応障害発症の原因2:授業の仕方がわからない
授業のノウハウなど全く持っていなかったため、授業することが不安でした。
今は、教科書をさっと見て授業を考えることができるようになりましたが、当時は時間がかかりました。
自転車操業のように毎日、次の日の授業を考えていました。
時には、土日も出勤して授業準備するときもあり、徐々に精神的にもおかしくなっていきました。
母から見た私は、とても目がつり上がっていて、おかしかったそうです。
大学で学んだような授業作りをしていると、とてもではないが時間が足りなかった。
適応障害の原因3:皆忙しそうで、相談できなかった。
実際に現場では、みな忙しそうで、とても相談できるような雰囲気ではなかった。
「いつでもの相談してね」
そういうけれど、相談できるのかタイミングや、相談していい内容かもわからず、なかなか勇気を持って相談することができませんでした。
同僚とのコミュニケーションを取ることがとても難しいと感じました。
適応障害の原因4:見通しが持てない
常に不安でした。
初めての学級経営、業務、授業何もかもが、これでいいのかという不安でいっぱいでした。
そうなるといつも心が落ち着かなく、精神的にどんどん削られていきました。
学習発表会が終わった後、限界だった自分の身体がとうとう悲鳴をあげ、動けなくなりました。
その頃は涙もろく泣くことが多かったです。
最後に
最後に、今あなたは辛いですか?
そのしんどさからは逃げても大丈夫です。
メンタルクリニックに行くことは初めは抵抗があると思います。
でも自分の力じゃどうにもできない部分を悩まないでください。
病院を受診することもあなたを救う術になります。
詳しいことはこちら「しんどいときは、教員だって、休職していい」の記事に書いています。
ほかにも『教員の体調不良の時の休み方、計画的なお休みの取り方』について知りたい方はこちらの記事へ
自分の心を大切にしてくださいね。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
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